要約
・コロナをきっかけに自問自答。
・リモートワークで思い出に浸る。
・株式投資でセルフビジネスアプローチを開始。
日常が非日常になる日
その存在を初めて知ったのはいつの日だったか。正直記憶がない。気づいたら、趣味と化していた夜のニュース番組にて、世の中が大変なことになっているということを知った。

画面に映し出される光景を見て、漠然と「これはすごい影響になりそうだ、、、」と考えていた気がする。
人生を振り返る。そして絶望する。
大学卒業後、都内で映像関係の仕事に就いた。やりたいことだったし、情熱も確かにあった。毎日必死で、目の前のことに挑んでいった。
ある時ふと気づいたら、なぜか熱量が落ちていたことに気づいた。正確にいうと、もっと前から気づいていたが、タスクをこなすことで考えないようにしていた。
「どうしてこの仕事をしているのだろうか」
「どこを目指しているのだろうか」
「なにがしたいのか」
3年間で手に入れたものは、会社からの評価と信頼。同年代では比較的な高給。尊敬できる上司。慕ってくれる部下。
なにも不満はないはずなのに、なぜか情熱が、やる気がわいてこなくなってしまった
いつだって、過去の自分は今の自分に語り掛けてくれる。
世の中の情勢もあり、リモートワークなるものが導入されることになった。職種的には営業のため、業務に対するアプローチを変える必要に迫られていた。そして、自宅にいる時間が長くなるからこそ、ふとした拍子に考えてしまう。
「このままでいいのだろうか、、、」と。

不安になると、とにかくじっとしていられなくなる。たぶん、私だけではないはず。
外に出ることはできないので、不毛の大地と化した部屋の掃除をすることに。すると、次々に発掘される思い出の品々。懐かしの卒業アルバム、ボロボロになった参考図書、世代交代で追いやられた大学時代のカバンなどなど。
結局、これらの鉄壁ディフェンス陣の突破することができず、「懐かしい」という沼にどっぷりつかることになってしまった。ただ、そのおかげか、少しだけ昔の自分から教えてもらうことができた。
会社のためであれ、取引先のためであれ、自分のためであれ、評価されるべきものが正当に評価され、ビジネスとして対価を得られるようにする。その仕組みを整えるために頑張ろう。
社会を知らない青二才の大学生だった自分。今考えても、思わず顔を覆ってしまうくらいには恥ずかしい無鉄砲さだったが、今の自分には、それはとてもストレートに胸に刺さった。
株式投資というビジネスアプローチに出会う
26歳という年齢は、仮にものすごい経歴があったとしても、たぐいまれなる才能にあふれていたとしても、社会というカテゴリーに属する限りは一人の若造でしかない。それは、凡人である私でさえ、ビジネスシーンの中で嫌というほど感じてきた。
だからこそ、その時の自分は改めて自分を見つめなおすことにした。つまり、社会や、会社や、他人という範囲ではなく、まず自分のビジネス目標を明確にし、そのためのアプローチにチャレンジしよう、と。その先で、真の目標=生きがいも見つけることに、、、
で、これまた自分が好きなニュース番組で、「証券口座の申し込み数が増加している」ということを耳にした。

もちろん、株という存在自体は知っていたが、「ギャンブル」「危ない」という先入観があり、今まで真剣に調べることはなかった。それでも、チャレンジしたいという想いが背中を押してくれたこともあり、期待半分不安半分ながら、証券口座の開設手続きまで進むこととなった。
この時はまだ、いずれ訪れる激しい感情のうねりの予兆さえ、感じることができなかった。
Constant dripping wears away the stone.
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